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弟子造りへの招き

Discipling 弟子造り:キリストのされた事をまねる

弟子訓練、またメンタリングとは何でしょうか。「弟子造りを行う」、「メンタリングする」とはどういう意味なのでしょうか。 なぜ私たちは弟子訓練(霊的成長)を受ける必要があるのでしょうか。

誰かをキリストの弟子として育てる、あるいはメンタリングを提供する(誰かの霊的成長に関わっていく)ことは大切です。私たちはみな、自分自身に弟子訓練してくれる人(自分の霊的成長に関わってくれる人)は必要です。

では、どのようにしてそのような人を探すことができるでしょうか。どのように弟子訓練を提供する人を探すのが良いでしょうか。また、どのように自分自身が他の人々をキリストの弟子として育てていくことが出来るでしょうか。

弟子(disciple)とはどんな人のことだと思いますか?

教師から学ぶ人、生徒、又、教師に倣う人、を思い浮かべるかもしれません。

サムエルがまだ幼かった頃、彼の母親は、祭司であるエリにサムエルのメンター(よき助言者)になってもらうために宮へ連れていきました。サムエルはエリの弟子になりました(第1サムエル記1章)。新約聖書では、テモテ(第1テモテ1章)とテトス(テトス1章)など、パウロに数多くいた弟子のことが書かれており、使徒たちには彼らの弟子がいたと記されています。パウロはテモテとテトスのことを「我が信仰による真実のわが子」と話しているので、彼らはパウロにとっての弟子以上の存在であり、パウロは彼らにとってメンター(よき助言者)だったと言えるでしょう。

バプテスマのヨハネにも弟子がいました(ルカ7章18節)。彼らは来たる救い主の話をするヨハネから聞いていました。

それでは、弟子を育てるとはどううことでしょうか?

教えること、訓練、トレーニングすることです。

メンタリングとは何でしょうか?

寄り添い、助言を与え、霊的成長を促すために行なわれる弟子訓練における人々との関係です。

メンタリングは教えることや訓練することより深いものを意味します。メンタリングはコーチングを含み、数人にのみ与えられます。

イエス様についてくる何百人という信者がいたのにも関わらず、弟子として関わる12人をお選びになりました。

「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。(エペソ5:1)」

クリスチャンであるということ、それはキリストのようになるということです。キリストがするように行い、彼の教えを受け入れ、そうすることで私たちの生活がキリストを世界に反映するのです。それこそ、弟子になるということです。

ですから、この聖書の箇所は私たちがキリストの弟子となり、倣うものとなるように述べています。この責任は全ての者の上にあります。これは牧師や神学生だけのものではありません。

マタイ28:19−20
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

教えること、弟子訓練すること、メンタリングすることは全てのクリスチャンにとって大切なことです。これはイエス様の道です。そして、クリスチャンとはこのイエス様の道を行う人々のことです。これは私たちがついていき、彼のようになるために、彼に倣うための例なのです。

イエス様には、彼が行くところすべてについていく弟子たちがいました。

教えて、教えて、教え続けました。福音書をみると、イエス様が教えている記録を読むことが出来ます。

イエス様は12人を選んで、弟子達のメンターとなりました。

彼らはイエス様が一番時間を費やし、大きな責任を託した人たちでありました。

後に、素晴らしい使徒の一人であるパウロが、彼の大切な弟子であるテモテに、「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」(第2テモテ2:2) パウロはテモテ(そして私たち)にそれ(教えられたこと)を他の人々に渡していきなさいと話しています。それはまさしく、イエス様が彼の弟子達にしたことと同じです。

これは同じように私たちへの責任でもあります。私たちはイエス様がみせてくださったこと、そして、使徒たちがそのやり方をつづけたように、私たちも倣う必要があります。これは、ただの提案ではありません。イエス様は提案をされるような方ではありませんでした。イエス様と弟子たちは、彼らが私たちに望んでいることを話されたのです。

旧約聖書から、私たちは人生について、または神様について学び、多くの知識を得ることができます。しかし、イエス様や使途たちが話された言葉の上に、私たちの信仰は立てられるのです。イエス様は言われました。「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。」(ヨハネ14:21)この箇所での‘戒め’とは、彼の言葉です。今現在、新約聖書に書かれていることです。

クリスチャンの信仰はイエス様と使徒たちの教えの上にあります。ですから、私たちは彼らが教えられたように実践することが必要です。私たちは神様の言葉を愛し、敬い、尊敬するので、熱心なクリスチャンたちは「聖書」から切っても離すことはできない関係にあります。

すべてのクリスチャンたちが弟子を造ることを命じられています。しかし、たったわずかな者だけが熱心にこのことを真剣に受け止め、行っているのです。

多くの人々が弟子訓練について自信がなかったり、方法がわからないのが現状です。

それは、神様の言葉を心に置いていないということなるなら、大きな問題です。聖書に注意を払わず、適切な敬意を持たず、学ばず、そしてまた、それを日々の生活の適応するべき真理として用いていないということになります。

イエス様を信じるならば、自分自身を信仰によって捧げ、人々の人生に投資するでしょう。私たちはイエス様と使徒たちが行ったことを同じようにしていくべきです。

何人かの人々はこの聖書で言う「パウロ」のような役割でしょう-自分の交わりの中にいるテモテのような人に教えることです。そして、何人かの人は「テモテ」になるでしょう。-その関わってくれる「パウロ」がした経験、持っている知識を求め、そして、「テモテ自身」、彼ら自身がそのプロセスを続け、また神様が導く、その他の人々のための「パウロ」になることができるでしょう。

「わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。」(第1コリント13:11)
クリスチャンとして成熟しているなら、クリスチャンとしての責任を受け入れようではありませんか。聖書は教団や団体、宗教に語っているのではありません。すべての信仰者の心に語っているのです。
今が真の信仰者として生きていくことを始めるときです。
マイケル・レイノルズ氏
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ドイツで2年間大学へ通い、ルイジアナ州立大学へ編入し、アラバマ大学のマーケティングリサーチ専攻の学位取得。

AJCF (Atlanta Japanese Christian Fellowship) を開始し、アトランタ VIP club、又、クリスチャンビジネスマンのグループ、 Cumberland CBMCの創立に関わる。

JCFN の理事、 Homestay International/Mission to Japanのアドバイザー、ジョージア州コブ市における教育理事、アトランタ VIP clubのアドバイザーを務める。

夫婦で、インターナショナルの学生のために家庭を開放し、ホームステーを通してもミニストリーとする。個人のミニストリーとビジネスの時間をやりくりし、テントメーカーの形をとって主に仕えながら、ビジネスをミニストリーのために用いる。これまで多くの学生が救われ、クリスチャンの相手と結婚してきたケースを見てきたので、夫婦でカウンセラーとして、また「キューピッド」としての役割を担える事をうれしく思っています。

弟子訓練への重荷が強く与えられていることから、セカンドレベル・ミニストリーの理事長へと導かれ、弟子訓練と共に団体の運営に関わる。マイケルとヘレンは1967年にヘレンと結婚し、1980年以来アトランタに住んでいます。

娘のアンドレアは、ジョージア州トコアに主人のデイビッド、オースティン、ジョサイア、アシュリンの三人の子供と暮らしています。1986年に創立されたケアフリー•クリアーウオーターという会社の社長を務める。マイクは軍隊の家族の間に生まれました。父親はアメリカ軍隊のチャプッレンでした。その頃、21歳で、だいたい1年半おきには引っ越しをしていました。二人の弟、ラルフとデイビッドは、ベトナムでアメリカ軍の責任をまかなっていました。25歳までには、アジアで2度、ヨーロッパで2度、その他アメリカ各地、海外では計8年間を過ごす。